いつからだろう、医療機器が「治す道具」から「共に生きる相棒」へと変わり始めたのは。
スマートウォッチが単なる時計ではなく、あなたの心拍数を24時間見守る存在になり、血糖値モニターがスマホと連携して日常の一部になった今、医療機器は病院の中だけの存在ではなくなっています。
技術は進化しましたが、その先にあるのは冷たい効率化ではなく、もっと人間らしい「寄り添い」なのかもしれません。
東大医学部出身のUXデザイナーから独立系ライターに転身した私が、メドテックとストーリーの交差点で見つけた新しい景色をお伝えします。
医療機器のこれまでとこれから
「治す」ことに特化した時代
白衣の医師が専門的な医療機器を操作し、患者はその結果を受け取るだけ—これが長い間、医療の当たり前の光景でした。
大型のMRI装置や複雑な人工呼吸器など、従来の医療機器は「疾患を診断する」「症状を改善する」という明確な治療目標のために開発されてきました。
この時代の医療機器は、効率性と精度が最優先され、病院という限られた空間で専門家だけが扱うものでした。
「以前の医療機器は、患者さんの体験よりも、臨床的な結果を出すことが重視されていました。患者さんは受け身の存在だったんです」(医療機器メーカー開発者・田中さん、45歳)
技術革新とメドテックの台頭
2020年代に入り、医療とテクノロジーの融合を意味する「メドテック」という言葉が一般化しました。
AIやIoT、ウェアラブル技術の急速な発展により、医療機器は小型化・スマート化し、患者自身が日常的に使えるものへと進化しています。
グランドビューリサーチの調査によると、世界のウェアラブル医療機器市場は2024年に427.4億ドルと評価され、2025年から2030年にかけて年平均成長率25.53%で拡大すると予測されています。
- 遠隔患者モニタリングの普及
- 在宅医療の需要増加
- 健康志向ライフスタイルの浸透
これらの要因が、メドテック市場の急成長を後押ししています。
このような市場拡大に伴い、医療機器の委託開発を専門とする企業も増えており、アイデアや設計段階から製品化までを一貫してサポートする体制が整いつつあります。
“治らない”時代に求められる新たなアプローチ
現代医学の進歩により多くの疾患が治療可能になった一方で、慢性疾患や加齢に伴う症状など、「完全に治す」ことが難しい健康課題も増えています。
こうした背景から、医療機器業界は単に「治す」ことから、患者中心の継続的なケアを提供する方向へとシフトしています。人工知能、ウェアラブル医療機器、クラウドコンピューティングなどの技術革新がこの動きを加速させています。
「治らない」と向き合う時代だからこそ、医療機器に求められるのは「どう共に生きるか」という視点なのです。
「寄り添う」ってどういうこと?
機能だけじゃない、感情にもフィットするデザイン
朝起きてスマホを見るように、自然に医療機器と接する—そんな世界が静かに広がっています。
「寄り添う」医療機器の第一の特徴は、機能性だけでなく、使う人の感情や日常生活にもフィットするデザインです。
例:感情に配慮した血糖値モニター
- 数値が高い時も冷静に「今日はちょっと高いね」と穏やかに伝える
- 過去の傾向と比較して「先週より安定してきているよ」と前向きなフィードバック
- 使用者の生活パターンを学習し、「今日は早く寝たから、明日の朝の数値が楽しみだね」など会話的な関わり
このような感情的なインタラクションが、機器を「道具」から「相棒」へと変えていきます。
患者の語りから始まるプロダクト開発
従来の医療機器開発は医学的ニーズから始まることが多かったですが、「寄り添う」医療機器は患者の語りや日常生活の文脈から生まれます。
私が以前インタビューした糖尿病患者の方はこう語ってくれました:
「数値を測るだけじゃなくて、私の生活習慣やその日の気分も理解してくれる機器があったら、病気と向き合う気持ちが違ったと思う。医学的に正しいだけじゃなくて、私の人生に合った提案をしてくれるものが欲しかった」
こうした「語り」から始まるプロダクト開発は、機能仕様書からは見えてこない価値を生み出します。
日常に溶け込む「さりげなさ」の価値
「医療機器」と聞くと、どうしても「病気」や「治療」という言葉が頭に浮かびます。
しかし、真に寄り添う医療機器は、使う人を「患者」と定義せず、一人の生活者として尊重します。
日常に溶け込む医療機器の事例
- スマートウォッチに統合された心電図センサー
- ファッショナブルなジュエリーに見えるバイタルモニタリングデバイス
- 普通のメガネに見えるメンタルヘルスサポート機能付きグラス
フィットネストラッカーやスマートウォッチなどのウェアラブル機器は、心拍数、睡眠パターン、活動レベルなどの健康指標に関するリアルタイムデータを収集し、2025年にはこれらの機器がさらに高度化して、患者の健康に関するより深い洞察を提供すると予測されています。
そして何より重要なのは、これらが「医療機器」であることを主張せず、さりげなく日常に溶け込むデザインであることです。
ユーザーの声をどう取り入れるか
デザイン思考とインタビューが拓く可能性
医療機器開発において、ユーザーの声を取り入れる方法として注目されているのが「デザイン思考」です。
デザイン思考のプロセスは次の5段階で進みます:
1. 共感する
- 深層インタビュー
- シャドーイング(日常生活の観察)
- 文化人類学的アプローチ
2. 問題定義
- 真のニーズを特定
- 解決すべき課題の明確化
3. アイデア創出
- 多様なステークホルダーとのワークショップ
- 制約を取り払った発想
4. プロトタイプ作成
- 早期からの実物作成
- 形にすることでの気づき
5. テスト
- 実際のユーザーによる試用
- フィードバックの収集と改善
この一連のプロセスによって、使う人の本質的なニーズに応える医療機器が生まれます。
「共に考える」開発現場のリアル
実際の開発現場では、エンジニア、デザイナー、医療従事者、そして患者自身が対等な立場で意見を交わす「共創」が重要になっています。
先日訪問したある医療機器スタートアップでは、週に一度「ユーザーボイス・デー」と呼ばれる時間が設けられていました。
そこでは実際のユーザーが開発中の製品を試し、その場でフィードバックを提供します。
エンジニアは技術的な質問をするのではなく、「この製品があなたの生活にどう溶け込むか」「使っていて何を感じるか」といった質問を投げかけていました。
若年層や女性医療の”見落とされがちなニーズ”
医療機器開発において長らく見過ごされてきたのが、若年層や女性特有の医療ニーズです。
例えば、若年性糖尿病患者のための血糖値モニターは、大人向けの機能をそのまま小型化しただけのものが多く、思春期特有の心理的ニーズや社会的文脈が考慮されていませんでした。
女性医療においても、月経周期や更年期症状のモニタリングは「医療」ではなく「ヘルスケア」として軽視される傾向がありました。
シンガポールのスタートアップ「EloCare」は、この課題に取り組む例として挙げられます。彼らは更年期ケアのための接続デバイスを開発し、症状を継続的にモニタリングして健康パラメータに関するデータを収集するウェアラブル「Elo」を提供しています。収集されたデータは臨床医によって活用され、個別化された健康プロファイルの作成に役立ちます。
こうした「見落とされがちなニーズ」に光を当てることも、「寄り添う」医療機器開発の重要な役割です。
テクノロジーと身体、そのあいだにあるもの
ウェアラブルの「物語性」を考える
ウェアラブル医療機器が単なるデータ収集装置を超えて、使う人の人生の物語に寄り添うものになるとき、その価値は飛躍的に高まります。
ある糖尿病患者のJさん(28歳)は、血糖値モニターについてこう語りました:
「このデバイスは、私の体の変化だけでなく、人生の転機も記録してきました。就職した日、プロポーズした日、父が入院した日—すべての出来事は血糖値の変動として記録され、私の人生の物語になっています」
医療機器が記録するのは、単なる生体データではなく、その人の人生の軌跡でもあるのです。
セルフケア機器がくれる”わたし時間”
日々の生活の中で、セルフケアの時間は単なる「医療行為」ではなく、自分自身と向き合う貴重な時間でもあります。
例えば、在宅透析機器の開発においては、治療の効率性だけでなく、その時間をいかに患者自身の「わたし時間」として価値あるものにするかという視点が重要です。
- リラックスできる環境設計
- 趣味や学習と並行して行える操作性
- 治療中も社会とつながれるコミュニケーション機能
これらの要素が、セルフケア機器の新たな価値を創出します。
「観察」から始まる、リアルなUX
医療機器のUX(ユーザーエクスペリエンス)を深く理解するためには、綿密な観察が不可欠です。
私の恩師はいつも言っていました:「観察から始めなさい。人は言葉で表現できないことも、行動で示しています」
実際、あるメーカーでは開発者全員が1週間、実際の医療現場に入り込み、医療機器がどのように使われているかを観察するプログラムを実施しています。
この観察から生まれた気づきが、真に使いやすい医療機器を生み出す原動力となっているのです。
医療機器が変えるこれからの生活
医療が「場所」から「関係性」に変わるとき
従来の医療は、「病院に行く」という場所の移動を伴うものでした。
しかし、新しい医療機器の普及により、医療は特定の場所ではなく、継続的な「関係性」として再定義されつつあります。
遠隔患者モニタリング(RPM)は、スマートウォッチ、血糖値モニター、インスリンポンプなどのデバイスに依存しており、2025年にはRPMはスマート義肢や埋め込み型心臓モニターなどのより高感度なIoMT(Internet of Medical Things)デバイスを組み込み、遠隔ケアにより多くのニュアンスと精度をもたらすと予測されています。
- 自宅でのデータモニタリング
- 異常時のみ医療者が介入する仕組み
- 日常生活の中で継続的に行われる健康管理
これらの変化により、医療は「必要なときだけ」のものから、生活の中に溶け込む「常に共にある」ものへと変わりつつあります。
自分の体と”話す”ツールとしての可能性
新しい医療機器は、単に体の状態を測定するだけでなく、自分自身の体と対話するための通訳のような役割を果たします。
例えば、心拍変動を分析するアプリは、ユーザーにこんな気づきを与えます:
「昨夜はいつもより深い睡眠が取れていたよ。先週に比べて回復力が高まっているね」
あるいは、筋電図センサー付きのリハビリ機器は、使用者にこう語りかけます:
「右腕の筋肉の使い方が変わってきたね。3週間前と比べて、もっと効率的に動かせるようになってきているよ」
これらは単なる数値データの提示ではなく、体からのメッセージを「翻訳」することで、使用者が自分の体と対話する手助けをしています。
医療をもっと”わたしごと”に
医療は長らく「専門家に任せるもの」「自分ではコントロールできないもの」と捉えられてきました。
しかし、新しい医療機器は、医療を「わたしごと」として主体的に関わるための入り口になっています。
ハイパーパーソナライズド医療という概念は革新的であり、患者の遺伝的構成、ライフスタイル、環境に基づいて医療処置を調整することを含みます。このアプローチは一律のモデルとは対照的であり、より正確で効果的な治療を提供します。
医療機器によって自分の健康データを理解し、日々の選択と健康状態の関連を実感できるようになることで、医療は「される」ものから「する」ものへと変わりつつあります。
そしてこの変化こそ、「治す」から「寄り添う」への最も本質的なシフトなのかもしれません。
まとめ
毎日身につけるウェアラブルデバイスから、医療現場で使われる高度な診断機器まで、医療機器の在り方は大きく変わりつつあります。
その変化の本質は、単に「治す」ことから、人々の生活や感情に「寄り添う」ことへの転換です。
2025年までに、AIを活用した診断、ウェアラブルテクノロジー、パーソナライズド医療により、ヘルスケアはより正確でプロアクティブなものになるでしょう。同時に、ロボティクスと3Dプリンティングがケアの提供方法を変革し、先進的な治療へのアクセスを拡大します。
これからの医療機器開発に必要なのは、高度な技術だけでなく、使う人の人生や文脈を理解する共感力、そして日常に自然に溶け込む「さりげなさ」なのではないでしょうか。
「治す」医療機器が命を救うなら、「寄り添う」医療機器は救われた命に豊かさを与えます。
その両方が共存する未来へ向けて、私たちはテクノロジーと人間性の新たな関係を模索し続けています。
最終更新日 2025年4月25日 by roboar