こんにちは、桑原慧です。
旅行会社で国内添乗員を十年務めたあと、いまは神社仏閣を巡りながら文章を書いています。
添乗員時代、出雲大社の拝殿前でお客様に「どうしてここは拍手が四回なんですか」と聞かれ、答えに詰まったことがあります。
その場をごまかしてしまった自分が情けなくて、以来、参拝先の下調べだけは欠かさなくなりました。
とはいえ、旅の前に『古事記』を通読する必要はまったくありません。
「国譲り」と呼ばれる一段だけを頭に入れておく。
たったそれだけで、出雲と諏訪で目にするものの意味が、ずいぶん変わってきます。
Contents
国譲り神話は、この一段だけで足ります
おおまかに言えば、天上の高天原が、地上の葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めていた大国主神に「その国を譲ってほしい」と迫る話です。
使者は三度にわたって送られました。
一人目は大国主神の側についてしまい、二人目は自ら野心を抱いて命を落とします。
そして三度目に遣わされたのが、刀剣の神である建御雷神(たけみかづちのかみ)でした。
登場する神は、最小限だけ押さえておけば十分です。
- 大国主神:地上の国を治めていた神。国を譲る側
- 建御雷神:高天原から派遣された三人目の使者
- 事代主神:大国主神の子。真っ先に国譲りを承知した
- 建御名方神:大国主神の子。承知せず、力比べを挑んだ
あらすじは神社本庁の国譲りにまとまっています。
向かう電車の中で目を通す程度で構いません。
出雲大社の「大きさ」には理由があります
出雲大社に立って多くの方が驚くのは、やはり御本殿の大きさです。
ただ、この大きさは「立派に造ったらこうなった」というものではありません。
出雲大社の公式サイトでは、大国主大神が国を天照大御神へお還しになったこと(国土奉還)を受けて、高天原の諸神が集まり、宇迦山の麓に壮大なる宮殿が造営されたと説明されています。
つまり、神話の中で交わされた約束の結果として、あの社殿が建っているわけです。
同じ公式の記述には、大国主大神が目に見えない世界を司ることになった、という役割の分担も書かれています。
縁結びの神として慕われている背景も、この一段を知っているかどうかで受け取り方が変わります。
諏訪大社は、その神話の続きが始まる場所です
さて、力比べに敗れた建御名方神は、その後どうなったのか。
ここからが本題です。
建御名方神は建御雷神に追われ、科野国(信濃国)の州羽海(すわのうみ)まで逃れました。
そして、そこで降伏し、国を譲ることを誓います。
州羽海とは、いまの諏訪湖のことです。
諏訪大社の公式サイトも、創建は古く古事記の国譲り神話にまでさかのぼると、はっきり由緒の入口に神話を置いています。
出雲で始まった話の結末が、長野の湖のほとりに置かれている。
遠く離れた二つの土地が、一本の物語でつながっているわけです。
諏訪大社を訪ねる前に押さえておくと得をする点も、あわせて挙げておきます。
- 上社の本宮・前宮、下社の春宮・秋宮という四社で一つの神社である
- 本宮・春宮・秋宮は本殿を持たず、神体山や御神木そのものを拝む
- 敗れて逃れてきた神を、諏訪の人々は千年以上も守り神としてまつり続けてきた
もっとも、諏訪の信仰は国譲り神話だけで説明しきれるものではありません。
諏訪には、建御名方神がこの地の神である洩矢神を倒して鎮まったという中世の縁起も残っています。
そうした土着の信仰まで含めて諏訪大社を捉えた読み物としては、浜西慎一さんが日本各地の神社仏閣を巡って綴っているブログの諏訪大社の回が面白く、私も出かける前に読み返しました。
予習して一番面白いのは、話が食い違うところです
最後に、少しだけ意地の悪い話をします。
建御名方神は、『日本書紀』には登場しません。
國學院大學の古事記学センターによる神名データベースでは、この神が『古事記』の系譜にも記されないことから、後世に付け加えられた神ではないかという見方が紹介されています。
その一方で、系譜と物語は互いを補うものだから同じことを繰り返していないだけだ、という見解もあわせて示されています。
つまり、諏訪へ逃れた神の物語は、まだ決着していません。
私は、ここが予習の一番おいしいところだと思っています。
答えの出ていない問いを一つ抱えたまま現地に立つと、目に映るものの解像度が明らかに上がります。
四社をまわりながら「この神様は本当に出雲から来たのだろうか」と考える時間は、見どころを消化していく参拝とはまるで別のものです。
まとめ
国譲りの一段を予習しておくと、出雲大社の社殿の大きさには理由が見え、諏訪大社は物語の続きとして立ち上がってきます。
次に出雲か諏訪へ行かれるご予定があれば、出発前にその十五分だけ使ってみてください。
同じ場所に立っているのに、見えているものが違う。
神社巡りには、そういう楽しみ方があります。